図 書 室44
キリストのヨーガ                                               M・マクドナルド・ベイン 著
 
久日ぶりの本の紹介である。この本は図書室2で既に簡単に紹介している著者の本で『解脱の真理』の続編に当たる著書である。
 
著者であるマクドナルド・べインがヒマラヤ聖者に教えを受け、そこに大いなる導きよる意識の真理への変性過程が描かれている。
 
さて、どの様な切り口で話すべきであろうか.....。
 
この本に出会ったのは今から約10年前であるがその時『解脱の真理』とこの本に書かれている事は恐ろしく深遠で意識の変性をも

たらすものであると、表層的にではあるが感じ取っていた、しかし準備と言う意味に於いては十分ではなかった。
 
それから数年間私は色々な本との出会いがあり、そして意識変性の為の集大成とも言えるコース・イン・ミラクルズに出会い昨年一応

完了した。(勿論、本質的に1年足らずで終了(完了)する訳では無い)この書による体験が私に何をもたらしたのか言葉では表現が

難しい。 そしてこの様な経過の後、再度このキリストのヨーガを読み返す事となったのである。
 
是非この文章を読まれている方にお聞きしたい事がある。
 
貴方は自分をどの様に見ているかと言うことである。美人?いい男?お金持ち?貧乏?優秀?愚劣?寛容?不寛容?健康?病
 
弱?....etc...人の数ほど限りなく続く。 そして貴方のこの価値観や思いは何処から来たのか?と言うことを。
 
ここで私の尊敬するマスターの一人であるマイケルローズが、一般的な人の人生に付いて次の様に話してくれた事を思い出した『私

たちは自我の欲が作り上げた幸福と不幸と言う振り子の間を行ったり来たりしている。振り子がちょうど中間地点の時、人は安定的

であるが又どちらかに振れだす』 この意味は一時幸せを手にしたかと思っても直ぐに不幸の方に振れ出してしまい又、幸せを求めさ

迷い何時までたっても本当に安らかな幸せは得られない言うことである。
 
ここで改めてよく見てもらいたい、この繰り返しを続けている自身をそして貴方の周りを、社会を、世界を、そこには 私、我々、市民、

国民、いつも何かが足りないと思っている不足感に苛まれ、やがてそれが苛立ちや恐怖、最後には攻撃を仕掛けてまで得ようしてい

る事。
 
だがしかし、はたして我々はこの様に感じる事や目にする事を又は行う事を本当に望んでいるのか? 
 
何故この様な事を我々は何度も延々と繰り返すのか?何が原因でこの様な状態を続けているのか? 
 
ここで本書から一部を紹介する。
 
『キリストのヨーガとは解脱である。解脱はあらゆる偽物、あらゆる自分-己ー自我を知り尽くした時に生じる。なぜなら、それはみな

同一のものだからである。この自分-己-自我なるものを正見できないと、そしてまた、無知にしてそれ自身のさまざまな希望や欲望

に中にとらわれていると、何度も何度もそれを克服しようとして努力することになる。それが解脱を不可能にする。しかし正見してしま

えば、克服は不要となる。』
 
ここに問題とその解決の一部見出す事が出来るのである。 しかし、この言葉の意味する所を深く理解するにはそれなり経験と思索

が必要である。
 
究極的には言葉や文章は無意味である、それは実在と呼ばれるものは言葉を超えた所すなわち我々の心にあり、おのおのがその

成長段階に応じて一つ一つ自分で味わい経験し自分で見つけて行くしか方法はないのである。
 
私はよく人と話す時、自分に起きる不意の出来事のリアクションに注意して自己の感情を見ると面白いと話す。
 
そうしているうちにやがて自分の観念(思い込み)が自動的に感情反応を引き起こしている事に気付き始める これが見え出すと大き

な一歩となる。
 
私は改めてこの本を読み返し、ほんの一端ではあるが自己の本質に付いて解りかけて来たが道は遥か遠いと感じづにはおれない。

しかし落胆する必要は無い。 
 
最後にある聖者の言葉を記す『貴方は自分が思っているより遥かに大きく素晴らしい存在である』 そして 『貴方の前に現われるの

人は全て天使以外の何者ものでもない』 と。