図 書 室45
存在することのシンプルな感覚                                ケン・ウィルバー 著
 
今現在私が最もはまっている作家(哲学者)である。
 
この本はウィルバーが今まで書いてきた本の抜粋的なものでウィルバー哲学入門にはもってこいの一冊であり多くの人に読んでもらい

たいしかしこの本は既に絶版となっており新品では入手不可能なのが残念でならない。(09.04 でAmazonを見ると再版された模様)
 
ではウィルバー哲学に少し触れてみたい、彼を知るには『統合』『ホロン』とう言う言葉が鍵となる。
 
人間の実在の本質を、歴史的背景を踏まえ西洋・東洋神秘主義宗教を、更にはインド哲学・モダニズムをも網羅し熟知した上で理論展

開構築し深く問うものである。 又ただ問うだけでなくそれを基に明確な方向性を示している。
 
そこでは現在巷にあふれているお手軽スピリチュアル本との格の違いが表出した本格的な哲学思想 否!教えとも言えるほどの力強

さを感じる。
 
ここで本書からの抜粋となるが、どのページの文脈を切りとってしても意味が深く全体との繋がりから導かれる本来の意図が伝わるか

不安が残る。 しかし言い訳をしても始まらないので勇気をもって切り取る。
 
『確かに、非二元的な伝統----上昇の道と下降の道を結びつけ、統合する伝統----が現れるところではどこでも。洋の東西を問わず

にあたかも数学的正確さをもったように同じテーマが現れる。タントラから禅まで、新プラトン主義からスフィーまで、パクティー派から華

厳まで、何千もの異なった説き方、何百も異なった文脈に於いて、本質的には同じ言葉が非二元的な魂から鳴り響く。一者を抱擁する

多者は善である。そしてそれは「智恵」と呼ばれる。多者へ帰還し、多者を抱擁する一者は善性である。そしてそれは「慈悲」と呼ばれ

る。』
 
『智恵は、多者の背景にあるが一者だと知る。智恵は、変換する外見と、うつろゆく形態を通して万物の基底のない基底を見る・・・・省
 
略・・・智恵あるいは般若は、「色」はそのまま「空」であることを見る。現象の世界における「確固とした」「実体」は、実際はうつろいやす

く無常で、実質を欠いているのである。それは金剛経にも言うように「泡、夢、影にも似たもの」である。智恵は「この世界は幻影であり、

ブラフマンのみがリアルであることを知る、しかし「智恵」が多者こそ一者であることを知るならば、「慈悲」は一者が多者であることを知

る。すなわち一者は、すべての、そしてそれぞれの存在に「平等」に現れているのであり、万物はその「慈悲」と思いやりおいてまったく

平等に扱われる。それは何か上から下への見下したような意味ではなく、むしろそれぞれの存在があるがままで、「スピリット」の完全な

顕現だからである。かくして「慈悲」は一者とは多者に他ならない事を知る』・・・・・この一文を見て頂いただけでウィルバーの賢智の深さ

さを推測して頂けると思う。
 
ここから私見である。
 
重要なのは深い知識や文脈では無い、例えどの様に複雑な理論展開せよ芸術的な文脈にせよ大切なのはその背景にある動機や意

図が重要であると私は思う。我々は知識を求める、しかしその知識を自己の驕りの道具とするならば何も知らない方がましである
 
と私は信じる。  こう前置きをした上で私はこのウィルバーの探究心は本物であろうと思う、それはあたかも仏道を求め続ける僧侶の

ようである。しかし決して聖人と言う訳でなくて、ただ自己の探求した事を多くの人々に伝えたいとの誠実さを感じるのである。
 
彼は師と仰ぐインドの聖者ラマナマハシリの教えを多く引用している。  
 
最後に本の表紙の帯に記された言葉で締めくくりたい
 
『すでに悟っていないものなど、どこにいるのだろうか?....』
 
 
余談あるがラマナマハリシは 『私とは何者か....』 この真実に目覚めた者こそ覚者であり悟りを得た者であると述べている。