図 書 室34
断片と全体                                                              デヴィッド・ボーム 著
 
前に一度紹介した本で『投影された宇宙』に関連しその中心的な役割をはたしたのがこの著者である。
 
デヴィット・ボームが提唱している『分割不可能な全体性』の一連の本でこれが初期の著書である。彼は前回紹介した通り正統的な量

子物理学者であるがこの様に哲学的傾向が強い学者であった為、物質・意識・世界観について『一つの全体としての世界が客観的に

実在し無限に複雑な構造をもっていると仮定される』という考えを元に理論展開をしていくのである。
 
ここで本書の冒頭で記載されているボームの言葉がこの本を紹介する上で適切と思われる。
 
『断片的世界観に支配された人間は、世界や人間自身をこの世界観にふさわしいように破壊しようと試みるようになる。
 
あげくの果てに全てのものがこうした世界観に対応するように見えはじめるのである。 人々は、自らの断片的世界観を正当化する、

もっともらしい証拠を探しだす。 ついに断片化は、人々の意志や欲望から独立した自立した存在であるかのように受け取れる事となる。
 
断片化をも、もたらしたのは、断片的世界観に従って行動している人間なのだという事実が見過ごされてしまうのである。』
 
彼は物理学者としての量子論の展開の中から、この様な哲学的思考を軸とした世界観を導き出したのである。
 
ボームはこの本の中でも思考・思想が断片的な視点を選択するのか、又は全体的な選択をするのかが問題であると、更にこのプロセ

スにおいて大きな役割を果たしているのが言語であり、彼は新たなる思考提案として『レオモード』という言語様式を定義している。
 
ここでボームの世界観を要約すると『最終的に運動に還元されないような存在は何も無い、全体的運動の中には事物は無い。』 この

考えを例えるならば、電子や陽子などの様々事物は、全体運動からの抽象にすぎない、実在するのは、全体的運動だけであると説明

してる。

そしてその運動とは単に空間的運動を指すだけでなく、あやゆる種類の変化、発展や進歩に伴うさらに微細な秩序を意味する。

ここまで読まれた方で今ひとつピントこないかもしれないので、更に要約するとこうなる原子・電子・陽子・テーブル・椅子・人間・地球

・銀河など全ての物が、全体的な運動からの抽象と考えられる。そこには互いに独立な状態にある実体や存在という考え方は捨て去

られるか、あるいはせいぜい我々の経験全体のある限られた領域のみに適合する過去の世界観としてのみ捉えられるのである。
 
究極的な疑問が出てくる  では一体その全体的運動とは何なのか?・・・・・・。
 
哲学思想の中で一元論と二元論と言う大きな2つの思想形態があるが、デヴッド・ボームはまさしく一元論者と言う事である。 
 
最後に彼の本業である物理学者として業績の中から一つ上げる、1957年に電磁ポテンシャルの量子効果の存在を予言しており、こ

の理論を1982年に日立中央研究所の外村彰氏によって実験的に実証され、当時物理学会は勿論の事、一般にもニュースとして大

いに話題になった。
 
後に彼が提唱するホログラフィック理論は形而上学的に考察して見ても東洋思想や仏教の根幹とも言える『空』・『タオ』の思想を表現

した一例と思えてしまうのは私だであろうか?
 
ここに一つの形として理論物理学から神学や宗教学との接点が見出されるのである。