恐らく誰もがこの著者の事は知っているとい思う。 TV出演や本のエッセイ集を出しており有名な人である。
私が東京にいた頃まだ養老先生は大学をまだ退官されておらず、一度仕事で東大医学部に行った時先生の研究室に寄ったが残念
ながらその時は不在で会えなかったしかし先生の机の上や周りは本や資料で埋まっていたとの記憶だけは残っている。
著者の最近の一般向け本として有名になったのが『バカの壁』と言う著書が記憶に新しいと思う、しかし私はひねくれ者なのかベストセ
ラーである『バカの壁』は読んでおらず、本書と『さかさまメガネ』『いちばん大事なこと』等を読んでいる。
彼は人間の人生と言う世界を解剖学者(医者・科学者)の見方で探求している人でもある。また彼は昆虫に関する大家でもあり昆虫学
者としても立派にやってけるほどの知識を有している。
この本では彼特有の言い回しであるが一般社会の常識的な考え方や、社会風潮を批判し死と言うテーマを切り口に人生をもっと深く
考え、生き方を変えなさいと言っている。ただ、自分が死んだらどうなると悩み考えても意味が無いというのです。『悩むだけ無駄』と言
い切ってもいます、何故なら第一にすべての人が100%避けられないからであり死の先に何があるのか見てきた人はいないと言って
いる。
しかし死そのものに付いて考える事は大切だと言っています、一見矛盾していますが周囲の死を乗り越えてきた者が生き延びる、それ
が人生であり身近な死というものは忌むべくことではなく、人生の中で経験せざる得ないことでありこの様なことから人間はさまざまな
事、ましてや自分に対しての理解も深まると言ってる。
死に付いて人々は恐れるか、はたまた意識して考え無いようにしているが、考えても考えなくても結果は分かっている、ただ時には考
えておくと安心して人生を生きられるものであると。
この本が書かれたのは今から15年以上も前である。その当時、日本という国には国家戦略の中枢と言えるシンクタンクがまったく存
在しないとの思いから書かれたものである。国家として基本となる内政・外交の戦略立案を組み立て、実行に移すべく頭脳集団が無い
中で迷走状態が続いていると著者は語っている。
日本でシンクタンクとあえて言えるのは霞ヶ関にある利権まみれの各省庁だけである。 これが15年前の日本の姿であった。
では現在はどうなのよ、となる。 残念ながらあまり変わりばえしない状態のままなのである、しかし徐々にではあるが変化の兆しが見
えてきている。
その変化は国家と言うマクロ的な大きな動きでは無く、むしろ個々人の価値観の変化とも言うべきものであろう。 しかしこの動きがや
がては大きく変化のうねりとなって国家を動かすのである。ではその原動力はどこから来ているのか? ずばり情報である。 あなた
の自宅にあるPCがインターネットに接続されているのであれば、世界のデーターベースに直結しており瞬時にして世界の動きを情報と
して入手可能なのである。
これは何を意味しているのか? 一昔前のように国家として情報操作が難しくなって来ていると言うことである。さらに興味深いのがマ
スメディアと言われる放送や新聞媒体などのネット情報を意識した変化である。 勿論ネット情報がまったく操作されてないとは言わ
ないまでもやりづらくなっているのは事実である。
話は変わるが価値観に付いて考えてみたい。
自己の価値観・・・要するに何が自分にとって一番重要なのか? 自分が一番大切で重要と答えるのが自然な回答であるはず。
では自分が重要であると、たらしめる認識要因は? おそらく 物・金・家族・彼女・彼氏 が物質的要因であり精神的には 優越感や
満足感ではないだろうか?
限られた範囲であるが愛情や共感なども上げられる。 個々人によって価値観が違うのは当たり前である。
しかし一見多様性がある様に感じる価値観もここには面白いトリックある。 今の社会システムのベースとなる部分では、ある種の恐
怖感が限られた価値観に殆どの人を縛り付けていると言っても過言ではない。 勿論これが悪いと言っているのでは無く、それも本人
の選択であり自由である。
しかしもっと自由に選択の幅を広げたいと思う気持ちが少しあって、その道を示す探索の鍵となる問いは 『自分とは何者か?』 であ
りここを突き詰めて行くと何か違った方法に気が付くかもしれない。
その問いから導かれる答えの中の一つで自己が重要で大切と思う心からおのずと取るべき行動が決まってくるものがある。
それは自分の周りの姿は自己の思いの投影であり、あなたの目の前の人は貴方の鏡であり貴方の一面であるという事、そしてとった
行動や言葉がそのまま貴方に帰ってくると言う事を忘れない事である。 意識を広げていくと更に大きな事に気づく。
そしてそれを理解し自然に行動に移せる様になったなら、その先に本当に自由な価値の選択と幸福があるのかも知れない。