図 書 室29
無条件の愛                                   ポール・フェリーニ 
 
この本はストレートなタイトルでありキリスト教徒的意味合いが濃いのは否定しない。 
 
何故にこの本を紹介したかの理由はどうでも良い事であるが、勿論私が感想を述べる必要など全くない事は言うまでもない。
 
表紙の作りがイエスの肖像なので宗教的な意味合いを嫌う方は恐らく手を出さないでしょう、 誰にでも読んでもらいたいと言う本でも

ない、ただあらゆる人が早い遅いの違いだけでいずれは向うであろうし、ペルソナ的な自己の姿から真なる自己を知ろうとするのはよ

ほどのひねくれ者で無い限り万人の歩む道であろう。
 
この本を読む機会がもし貴方に有ったならその前にこの事を考えてから読まれる事を勧める、自分は何者で、何に喜びを感じ、何に

恐れを感じ、自分の望みは何なのか、誰が好きで、誰が嫌いなのか、そうしてこれからの人生をどう生きて行きたいのか 改めて今一

度、自問してみてもらいたい、勿論この本に答が書いてある訳でも無いが、その問いに対する気づきと言う意味では重要な何かを示

唆してくれるかもしれない。いずれにせよその問いから導かれた答が高尚であれ低俗であれどの様なものであろうとそれは自分自身

のものであり、な・ん・び・と たりとも立ち入れないはずである、何故なら考え対する幸不幸・正邪・善悪・どの様に評価するかは全て

自己である。
 
今の人生を作り上げ更にこれから創造して行くのは他でもない自分自身であると思うからであり、そしてそれはどんなに無関心を装っ

ても全ての人に共通していると思うのである。  この様な感性を持った方には味わい深い本になると思う。
 
(くれぐれも誤解の無いように言っておきますが私は少々迷信深い所はありますが宗教心の薄い人間です。)
 
 
 
人間の頂                                        野口 法蔵  著
 
カメラマンであった著者がインド・チベットの秘境に挑んだドキュメントであり、旅を続ける中で最後にチベット僧侶となってしまうノンフィ

クションである。先に紹介した本で『物乞う仏陀』と同じようにインドで物乞いと同じ様な生活をしその経験を克明にレポートしている、『

難民のたむろする一体は汚物と細菌の巣窟で不潔の極み。コレラ、肝炎、チフス、アメーバ赤痢、マラリアが蔓延し私もマラリヤ以外

全ての病気の洗礼を受けた』と。 カルカッタの売春宿で知り合ったなじみの女性との会話の中では、その娘は13歳の時、牛一頭で

売られて来た事や、その娘がダッカでの売春宿で働いていた頃の話では10歳~16歳代が殆どで20歳代はいないなど。
 
レポートは続き、インドでの葬儀に付いてであるが、生焼けの死体を折りたたんで川に沈める事や、その同じ川の下流では沐浴してい

る人の直ぐ側を遺体が流れて行くとういう状況や又、神経系を失った生きている人間の足を犬が食いちぎる、などなど日本では信じ難

い事を目の当たりにするのである、そんな中で著者は感性が麻痺してしまい、ついに火葬場で人間の死体の肉を口にしてしまうので

あった。しかし決して気が狂ったのでは無い。インドやチベットでは固有の思想体系がある、『輪廻転生』つまり生まれ変わりの思想が

全ての人に染み渡っているのである。肉体はあくまで天からの預かりものであるとの考え方であり、人間が死を迎えると肉体は単なる

生命が抜けた物でしかないのである。埋葬の考え方が我々とは根本的に違うのである。
 
また彼らは自殺は厳禁でありどんなに悲惨な状況であろうと自殺してはならないと言う考え方である。貧しくとも今生での徳を積むため

に個の人間として布施の行為を第一義とするのである。この事からも一見彼らの文化は野蛮に見えるが実はそうではない。等々まだ

まだ文章は続く、好奇心が著者に様々な経験を運んでくるのである。この様な世界を経験し、てやがて思想が更に洗練されたチベット

仏教の地に彼は赴き、いつのまにやら寺に住み着いて修行を始めてしまいついにチベットの僧侶となってしまう。 
 
現在、著者は新潟に在住との事。
 
ここからは私見である、別な視点で言うと日本では自殺者が年間約3万人も出る事を考えると果たしてどちらが優れた文化と言えるの

だろうか?。この様な文化圏とは対照的に日本などでは現実の死と言うものが隔離されてしまい一般の大人は勿論、子供たちは完全

に仮想の世界(殺人や事故や災害のニュース報道など)でしか経験出来ないのである。この事は現実の人間の痛みや苦しみも含め

生命と言うものを見つめる機会が著しく阻害されてしまうのである。
 
興味深いのは我々の精神構造である、例えば我々は子供たちに人間の命は大切にしなさいとかペットや飼っている昆虫などに対し殺

生などしてはいけないなどと言葉で道徳を教え込む、しかし我々は何気なく食している豚肉・牛肉・鳥肉などはト殺場でどの様な状況で

殺生が行われているのか何処まで理解しているのかとの話になってくる。 
 
私は別に肉を食するのが悪いと言っているのでは無く我々はあまりに隔離された状況にいる為に物事の本質を見失っているという事であ

る。まずは当たり前と思っている事に疑いを持ち、個々の事象に於ける相対の中で我々が目にしたり感じたるする物とは別なベクトルが
 
隠されている事に気づく必要がある。
 
ここでの言っている本質とは物事には表の面と裏の面が必ず存在する言う事である、この2面性を理解する事により短絡的感情に流

されるのを防いでくれるのである。
 
我々は生命を生物学的見地だけで無く、生命システムの一部分としての人間の精神や感情と言った物を含めた本質を深く考察する

事により、その複雑さと深さを知り謙虚さと感謝の気持ちを育まなければならないのである。