Newtonから発行されている本であるが、本と言うより科学雑誌と言った方が正しい。私はたまにであるがこの様な科学雑誌を読む事
がある、少し前までは仕事の関連での生物学関連の本を読んでいた事もあったがさすがにもう結構と言った感じである。
この本を取り上げたのは、私自身理由は定かではないが『ゼロ』言う概念に魅力を感じてしまうのである。 ゼロて何?あまり普段は考
えたりもしないが、素直に考えてみるとゼロ=無 と理解するのが自然な考え方であろう。しかしゼロを調べて見るとこれが不思議な事
が沢山いやそれこそ無限にある。
数学的にはゼロは無くてはならない数(?)である。物理的に考えるなら『無』のゼロ、座標原点としてのゼロ、釣り合いのゼロさまざまな
意味を持ってくる。例えば綱を同じ力で逆方向に引き合うとすると、中心点は左右どちらにも動く事はないこの様にエネルギーの均衡の
取れた状態、差し引きゼロと表現で来るのである。(これはかなり強引な例えであるが)しかし見た目には何も変化の無い状態であるが
そのゼロポイントには膨大なエネルギーが隠されている。(この事は『フィールド響きあう生命・意識・宇宙』での量子場理論を読んで頂く
と判りやすいかも知れません)。
では無限とは?我々凡人の想像の範囲で言うと宇宙の果てまでの大きさぐらいしか想像が出来ないだろうが ∞ とは終わりが無い言
う事実を表している、よって数え切れない巨大な数などと言えど無限とは比べ物にならないのである・・・。 こんな概念を論じて一体何
になるのよ、と言われそうであるが。
今、我々が実際に認知しうる極微世界は素粒子加速機での間接的な意味での電子や原子と電子顕微鏡や原子間顕微鏡が観察限界
である、又極大世界であれば光学天体望遠鏡(今の所ハッブル宇宙望遠鏡が最も条件が良い)や電波望遠鏡の範囲である、それが
我々の認知出来る世界の限界なのである。 しかし上記で論じたゼロや∞との世界からみればあまりにも限定された領域な
のである。
私は何が言いたいのかと言うと、今我々人類がここに存在している事は奇跡以外の何物でもないという事である。前にも話した事
があったと思うがこの宇宙の物理法則がほんの少しでも違っていたなら、生命はおろか太陽・惑星や銀河すら存在していないのである
この文章を読んでいる貴方が偶然に存在すると言う確率は地球の全ての海岸にある全砂粒の中の一粒、いや全原子の数より遥かに
低いのである。 本当にただ単に生命は偶然に発生したと言えるだろうか? 我々は一つの生命体として喜怒哀楽のあらゆる感情を
経験し又天国から地獄までをも経験している、まったくもって 『∞≧幸福≧ゼロ』 な存在なのである。
・・・・さあて今晩なに喰おう・・・。