長らくご無沙汰しておりました、HPのモデファイ第1段目の読書感想文です。
早速内容についてお話しようと思う、今日は寝不足で頭が重く仕事に出てもやる気は起きないそんな経験は誰しもお持ちであろう、と
んでもない私は常にそうだと言われる方も中にはいらっしゃるかもしれない。この寝不足は当然通常の睡眠時間を無視して夜更かし
やなどの報いとして起きる訳である。ここに人間の生活リズム、要するに体内時計が絡んでくる。この体内時計なる正体を研究して単
細胞生物から人間までの生物種として解説したのがこの本である。この手の研究テーマを持った研究者は結構多く、私が担当してい
る某大学医学部の時間生理学のH先生もこの権威であろう。
結論から言ってしまうとどうやら生物時計にはその因子となる遺伝子が存在しその遺伝子の発現による作用が大きいと言うことであ
る。
この本とは直接関係ないが貴方は今この時間と言うものに対してどの様な感覚をお持ちであろうか、貴方が幼少のころ感じた時間感
覚と、今の年齢での時間感覚はどうであろうか?当然違いがあると思う、年取ると時間が経つのが早くて・・・との言葉が聞こえてきそ
うある。ここに面白い考え方がある、もし本当に時間の進み具合が違っていたらどうだろうか、物理学では空間の歪が時間の流れに
方に影響されると証明されている。要するにいくら正確な時を刻む時計(セシウム原子時計など)があったとしても空間が歪めば相対
的に時間間隔が変化してしまうという事である。 私の寿命はあと30年くらいと考えても実は100年前だったら50年間と同じだったり
して・・・。
この著者は仏教会では知らない人はいないでしょうと言う位の有名な人で東京帝国大学(現東京大学)の元教授。
また彼はアメリカと言う地に日本の大乗仏教を広めた功労者でもある。
この本のユニークなのはこの本の元となった原文は著者がアメリカの大学で教鞭をとっていた時に書いた英語の論文を日本語に逆
和訳された物であり、その内容はキリスト教と仏教、特に禅仏教とキリスト教の神秘主義思想の共通性に着目し論じたところである。
彼が注目したのは12世紀に実在したキリスト教主であるマイスター・エックハルトと言う人物でエックハルトが説いている内容がキリ
スト教徒の考えから大きく違っていた事、そしてその内容が何と仏教思想の『空』の思想との共通性であり禅仏教そして浄土真宗教
義の類似性について展開していく。
ここで多少長くなるがエックハルトの説いたほんの一部分を抜粋する。『神が人を創造されたとき、人の魂の中に、ご自身と等しい、魂
の活動してやまぬ永遠の秀作を籠められた・・・・・中略・・・・・・神聖と呼ばれるものは、皆。人の魂の内なる神の作品に依存している
神が人の魂の内で働きたまい、神が自身の働きを楽しまれることは神にとって何と幸せなことであろうか!・・・・』『生命とは何か?神
の存在が、わが生命である。しかし、もしそうであるならば、神そのものはすべて私のものであり、私のものはすべて神のものでなけ
ればならない、神のありのままは私のありのままであるし、それ以上でも以下でもありえない。・・・』 12世紀の時代のキリスト神学で
は考えられない教義であったはずである。エックハルトは神と人間とを同等の立場においているのである。
鈴木大拙はこのエックハルト思想を詳細に分析しそれを通じ、大乗仏教とキリスト神秘主義との共通性を展開し輪廻思想、そして大
乗仏教の中でも浄土真宗との類似性について展開されるのである。
ここから違った視点で私見を入れると、あらゆる宗教もその信者にとっては完全かも知れないが、数多くの宗教が存在すると言うこと
は逆に言うと、どの宗教も完全では無いと言うことであろうし、更に言うなら、どの宗教も真理の一側面は含まれているはずであり、も
し目指すべき究極の地点があるとするなら目的地へ向かう進む道は数多く存在すると言うことである。
我々はこの科学万能と思っている現代において(まったくの幻想であるが)宗教は現代社会の政治や経済などと無縁と思っているか
も知れないが、実は今の世界は上記の様に自己の宗教が完璧と信じている人間が動かしているのであり、政治も経済すらその根底
には偏った宗教観で左右されているのが実情なのである。