図 書 室12
正義と嫉妬の経済学                        竹内 靖男 著


この本が書かれたのは10年以上前である、取り上げた理由はこの本で書かれている事が古来からその法則が働いているからであり
 
我々が経済活動を続けて行く上で避けて通る事が出来ないと思い込んでいる。基本原理はいたってシンプルでタイトル通り人間の嫉

妬が経済の原動力とうたっている。この著者はこんな表現をしている『嫉妬はしばしば正義の仮面をかぶって現れる』と。 私が表現す

るとこうなる『世の中、お・と・な だらけで嫉妬しているとは恥ずかしくて素直に言えない・・・いつの間にやら大義名分にすり変わる。』
 
ここで私は嫉妬と羨望との違いに付いて考えてみた。嫉妬とは『ねたみ』であり、ある人と自己を比べ同等か又は以下と思っていた(勝

手に本人が作り上げている妄想)者が自己より有利又は上位になってしまった状況でその相手を落とし込もうとする気持ちが働く。羨

望は一見嫉妬に似てはいるが、明らかに違うのは自己もそうなりたいと願う気持ちであり相手の栄光をたたえる気持ちがある。しかし

いずれも人の こ・だ・わ・り がなせる行為であるが為にどちらが良いとは言えない。
 
少なくともネガティブな感情の方は嫉妬である。この屈折した感情は何も個人の事だけでなく組織・民族・国家まで発展して行くから戦

争まで起こる。

元をただせば人間の感情が巻き起こす事で、正義(正論)の裏側は見るもおぞましい感情が渦巻いている場合が多い
 
バブルがはじけ十年以上経つが、自由競争と市場主義への改革と言いながら今なお利権にしがみつく政界・官僚の姿は合いも変わら

ずである。我々だって利権を手にしたらしがみつくものであろうが、以前にも述べたが組織となるとかくも強力な力となって守りに入る

のである。 これとて悪いとか良いとか批評するつもりは無いが、はっきり言えるのは何時までも続かないと言う事であり批判する側も

される側も
共に自滅の可能性が高い。
 
私が何故こんな事を論じるのかと言うと、我々はまさにこの様な世界に生きており、これが現実と思い込んでいる。ここらで視点(意識)

を変えたいからであり、変えなければ我々は回転ケージの中で走るネズミと同じである。
 
 
 
へまな奴ほど名を残す                      ピーノ・アプリ-レ 著
 
日本語タイトルに疑問を感じる事が多いがこの本も私にとっては代表格と言える、原題は『ELOGIO DELL’ERROR』(イタリア語)で

あり内容はエラーによる多様性がもたらした影響を論じた本である。この本は生命の発生から人類史における間違い(エラー)が進化

や有用な発展をするための必然あると言っている。何をもって完璧とするかの定義にもよるが、我々の通常の考えは間違いの無い完

璧を理想としている。しかしこの完璧はとても危ういものでむしろ間違いの中に多様性という可能性が生まれてくると言っている。 例え

ば生命現象で細胞が増殖する場合DNAが100%完璧にコピーされたなら人類は生まれてこなっかた何故ならコーピーされる時にエ

ラーが無ければちょっとした外的変化で絶滅していただろうと。この事は根本的な生命現象に限らず人間社会にも当てはまる法則でも

ある。
 
人類はエラーとの戦いの歴史であったと言えるが面白い事にエラーを無くそうとすればするほどエラーが増えると言う現象が起きる。

しかしこのエラーが人類をここまで発展進化させてきた事は事実である。この本の内容は逆説的な所があるが、私が思うに完璧とは

整合された単一性でありエラーとはその完璧を基準にした多様性を意味する。
 
この事は組織に於いても個々人に置き換えても当てはまる。
 
私なんか人生に於いて間違いを何度繰り返せば気が済むのと言われるぐらい多くの間違いを犯して来た。もちろん未だ結論は出てい

ないがこれで良かったと思っているし、完璧になりたくても無理なのは明らかで今後も間違いを続けて行くはずである。自分で言うのも

なんであるが間違える人間は愛すべき存在であると・・・・。そんな貴方も間違いなく(完璧に)間違いを犯す愛すべき存在である。