エントロピーの法則 ジェレミー・リフキン 著
この言葉を知っていればその方は物理学を多少なりとも学んだ人でしょう。この本では物理学の話ではなく社会・人類・自然を含んだ
総合的な話となっている。ではエントロピーとは何かとの説明から致します。まず最初にエントロピーとの言葉を考え出した人は誰かと
言いますとルドルフ・クラジウスという物理学者(1822年~1888年ドイツ)で『閉ざされた系の中ではエネルギー・レベルに違いがあった
場合、常に平衡(へいきん)状態へと向かう』と言う法則を発見した人です。
もっと分かりやすく説明すると『秩序だったものから無秩序へながれる状態』でその流れは一方向である。
まさにこの事は物理学で言う熱力学の第二法則に当てはまる。ある状態から別の状態へと変わるたびに将来何らかの仕事を行う為に
必要な「使用可能なエネルギー」が失われていくと言うものです。じつはこの法則こそ人間・自然・社会(経済をも含めた)のあらゆる現
象を説明するのにとても有用な法則であると言う事なのです。ここで視点を経済に移すと我々は自由経済社会と言われる(実は本当
は何も自由では無くそう洗脳されているだけ)の中で未だに大量に消費する事が良いとされる世界に属している、エントロピーとはこの
まま進んで行くと大変な事になるとの警鐘の法則ともいえる。言い換えると、この地球と言うシステムは限界値に近づきつつあるという事
です。高エントロピー社会とは使い捨てで無駄が多く、しかも大きな問題はそこに住んでいる人間はそれが良い事だと思い込まされて
いる事が重大です。(最近は亀のスピードではあるが、さすがに矛盾に気づき初めている)
話が変わりますが、私は営業で物を売る事を仕事としているが、若い頃20代~30代中盤までは自分が取り扱ってている商品が売れ
る事に少しであるが喜びを感じたものである、それはその仕事への評価としての意識や自己満足がもたらすものであった、しかし40
代に入と自分が提供(販売)している製品の有用性を理解しているものの売れても何故か喜びを感じていないもう一人の自分の存在
を強く意識してしまう。そこには単に仕事に飽きたとの単純な事では割り切れない何かがある。
このエントロピーなる法則はこの物質世界の法則として変える事の出来ない物であるなら、我々は基本となる考え『意識』を変えなけれ
ばならないのは必然あろう。
この本ではないが、次の様に書かれていた事を記憶している 『唯一真なる生命に於いてのみエントロピーの法則には縛られない。』
実はこの言葉には重要な意味が含まれている、この意味についてはこのHP読者が自分で考えてもらいたい。
この本は『仏教を生きる』とのシリーズ本となっており(全12巻)その一巻目でサブタイトルが般若心経となっている。私は昔から ひろ
さちや氏の書いた本を結構読んでいる。とかく仏教の本と言うと、あまりに安易な解説物から果ては難解な書物まで千差万別である。
その中でも彼の本は分かりやすく又テーマの切り口が好きですでは内容に付いてお話します。仏教に興味のない人でも般若心経とい
う言葉はご存知の事と思います。仏教経典は約3000以上あると言われていますが、その中でも般若心経は300字足らずの短い教
えです。
しかしその少ない言葉の中に表現されている『空』の教えこそ宇宙の真理が表現されていると言っても決して大げさではないのです。こ
の本では人間の心すなわち精神構造の観点から般若心経の教えを解説しています。
ここで般若心経のエッセンスを少し紹介しましょう。 『観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄』・・・観自在菩
薩はかつて般若波羅蜜を実践され肉体も精神も全てが『空』だとわかり一切の苦しみ悩みを克服された。よってあなたも観自在菩薩に
ならって般若波羅蜜を実践して苦悩を克服しなさいと言っているのです。簡単に説明するとこうなりますが、しかしこの簡単さが問題で
す、では明日からあなたも実践し悩みを捨てて幸せになっては?と言っては見たものの、ここで我々の根源的な問題つまり『こだわり』
が出てきて、幻想(欲)を捨てきれない我々(私とあなた=凡人=俗人)が存在します。
私は今まで精神世界(主に海外)の本と、仏教関連の本を読んで私なりに比較してみた所、改めて大乗仏教と言われる思想(教え)の
深さに驚かされますが、しかしその教え(ここで言う教えとは体得すると言う事)にはそこにたどり着くまでの先人の仏道苦行の歴史が
あります。 我々俗人には永遠に果たし得ぬ道なのでしょうか? まったく希望が無い訳ではありません。
今と言う時(あと数年間)は先人が歩んだ苦行の道をあゆまずとも、我々の視点(意識)を変えることによって覚醒の道が開かれている
可能性があります。
理由?・・・いつか解説致しましょう・・・・。