図 書 室38
死後探索1~3                                                                                ブルース・モーエン 著
 
このHPをご覧の方は極少数で限られた方しか見ておられないと思うがHP表題のメニューの中でBMW報告をご覧頂になられた方は、

一体何を報告したのか全く意味が分からないという方がほとんどであろうと思う。 何の解説も付けずに載せた為に恐らく、ついにこい

つも頭がおかしくなったのか!と思われるを承知の上での記載であった。
 
勿論報告の内容に対し真実とか言うつもりは毛頭なく、全てがでっち上げ且つ妄想であるとか、どの様に捉えても一向に構わないと思

っている。 ある種の空想物語としてご覧いただくのが良いと思う。上記に関する事の延長でこの本の紹介となる。
 
本のタイトルは死後探索と言う表現を取っているが私にとってどちらかと言うと『未知の意識領域探索』と言う方がすんなりくる。 
 
なぜこの様な事に興味を持ったかを少々説明する。
 
高校生の頃であるが全く予期せぬ事で体外離脱に近い状態を経験した、その時はその意味が全く分からずただ驚きと恐怖心がある

のみであった。 しかしここ数年来やっとその意味が徐々に分かって来たと言う事、更に幼少の頃の不可解な経験をしている事が思い

出さたれて来たのである。
 
この事は経験した者で無いと理解は得られないし、ましてや死後探索なんて俗にあるトンデモ本の部類に属するナンセンスな事!と言

われるのは百も承知である。
 
しかし、不思議なものでその様な反応を示す人々も、神社や、寺に行くと手を合わせお祈りするし、盆などでは墓参りもする何故だろ
 
う?。  さて本題に入る、この本の著者はバリバリのエンジニアで左脳人間である、しかも死後の霊などとか死んだ後も意識が残って

いるなどと実証出来ない限りは到底信じられるものでは無いと思っていた、エンジニアとして当然の様に疑いからのスタートとなる。
 
ただ一般の我々と彼の違いは疑問に思ったら自分が納得するまでどこまでも突き進んでいくと言う信念と、人一倍強い好奇心では無

いかと思う。 そしてある日、探索のきっかけとなったのがこの図書室で紹介した事があるロバート・モンローが開発していたプログラム

を経験する事から大きな飛躍となって行くのである。 
 
それは単に死後に何かがあるかとか、一般に言われる霊現象の解明だけと片付けられない、それこそ、とんでも無い経験が待ち受け

ていたのである。
 
ここから私見となるが、私もどちらかと言えば左脳タイプで理論だった筋道が無いと納得しない方である。
 

しかし過去に自分が経験してきた事や何時もの好奇心も手伝って興味を持ったのである。
 
この様な体験の無い人に説明するには、どうしても理論的且つ科学的論拠があって始めて社会的に認知される、残念ながら現段階で

は無理と言わざる得ない。  真実かどうかの判断において現代科学の基本パラメータに照らし客観的データとして誰も捉えておらず

証明出来ていないだろう、ましてや人間の脳の機能解明や意識の解明、更にはセンシング技術としてハードが十分と言え無い点が考

えられる。 駄目押し的に言うならどの様に測定したら良いのかさえ分からないと言った所であろう。
 
ただこの分野において科学的アプローチとして全く希望が無いわけでなく目的は違うが数学と言う共通言語の上に成り立つ理論物理

学と言う光明がある、しかしまだままだ長い道のりが必要と思われる。恐らく研究している当の物理学者や数学者はこの様な領域と関

連するとはゆめゆめ思ってはいないだろうが。。。
 
話が膨らんでしまったのでここらで戻すと、変性意識領域に到達するには訓練をすれば誰でも経験することは可能であるが、私の場

合は結構忍耐が必要であった。
 
著者の様に十分に深く到達するにはまだまだ時間が掛かりそうである。 登山で言うなら2~3合目辺りと言った所である。
 
ここで鍵となるのは好奇心であり、これが無ければ先には進めない。
 
ただし、いつも付きまとう重大な問題は、妄想か空想か、事実なのか、それを実証するのは忍耐と労力が必要となるし勿論実証不可

能な事柄が非常に多い、それでも時に鳥肌が立つぐらい(恐ろしいと言う意味では無くあまりにイメージと事実が一致する時)に実証さ

れる事もある。 特にこの事は著者も悩まされた問題でその解決策と言えるヒントが多く書かれている。
 
結論は、いづれせよ私にとってはこの探索はとても楽しいし、大いに好奇心を刺激してくれるものでこれからも色々試みたいと思ってい
 
る。 ここまで感想を読まれて 貴方はどう思われただろうか、どの様に判断するのかは勿論自由である、しかし少なくとも今我々が一

般的に理解し見ている世界はとても小さな
 
世界しか見ていないのだと言う事は確かであろうし、更にその理解の基準はとても限られた価値観の上でしか成り立っていないと思う

のは私だけであろうか?